キューティー鈴木 やられ動画
“プロレス業界初の死亡事故”
1997年8月15日、プラム麻里子は広島市のアステールプラザで行われたタッグマッチ(プラム麻里子のパートナーはコマンド・ボリショイ、対戦相手OZアカデミー(尾崎魔弓・天野理恵子))で尾崎のライガーボムを受けてピンフォール負けした。傍目から見ても技の勢いがつき過ぎており、緞帳が降りてきて、会場は一時騒然となった。プラム麻里子は直後に意識不明の重体となり、救急車で市内の病院に搬送された。開頭手術には成功したものの翌日に容態が急変、急性硬膜下出血並びに脳挫傷により没。まだ29歳の若さだった。生涯、独身だった。