足4の字固め 女子プロレス
白い水着がよく似合うミミ萩原選手が足4の字固めを極められて悲鳴をあげる

ビューティ・ペアの人気が爆発した1978年、アイドル歌手から女子プロレスラーに転身、全日本女子プロレスに入団し、大きな話題を呼んだ。転向理由は「芸能界は足の引っ張り合いが激しくて、それがイヤになってやめた」と説明した。格闘技は子供のころから好きだったという。
ミミ萩原のリングネームで、1978年2月6日大阪府立体育館大会にて、横田利美(後のジャガー横田)戦でプロレスデビュー。「タレント上がりはダメ」という陰口どおり、デビュー戦を皮切りに前座試合で連戦連敗を続け、87連敗という連敗記録をうち立てる。
1981年まではまったく芽が出ず、この時期は試合ではなく外国人レスラーの通訳としてテレビ中継に登場することもしばしばあった。
1980年にアメリカに渡り、ロバート・アルドリッチ監督、ピーター・フォーク主演の『カリフォルニア・ドールズ』に出演。この映画はロードムービーの名作として有名である。


